正福寺

曹洞宗について

釈尊が説かれ
道元禅師が究め
瑩山禅師が広げた禅の真髄。

経典のご紹介

書物の解釈よりも座禅などによる悟りを重んじる曹洞宗。
その一方、釈尊や祖師の精神を誤りなく伝えるために
さまざまな経典が用いられています。
ここでは日常よく読まれる経文・偈(げ)などをご紹介します。

摩訶般若波羅蜜多心経

『般若心経』は膨大な『般若経』600巻の精髄をまとめたもので、
字数にしてわずか262文字の短い経典ですが、深遠な仏教の思想と広大な
慈悲のいとなみである宗教的実践を簡潔に説いています。
この経は、日本ではほとんどの宗派で読まれています。
『般若心経』は、正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』と呼ばれ、
大いなる(摩訶)、智慧(般若)の完成(波羅蜜多)の真髄を説いた経典のことです。
その内容は『般若経』の中心思想である「空」の思想を簡潔に説いています。
この「空」の概念は、ただ単に何物もない・空っぽである、という意味ではありません。
すべてのものには「固定的な実体はない」という哲学的概念を含んでいます。
経文中の「色即是空、空即是色」とは、
色(すべての目に見える対象)は空(永遠に変化しないものはない)であり、
そして空(変化生成するもの)なるものが色(対象世界)である、という意味です。
『西遊記』に登場することでも有名な
玄奘三蔵訳の『摩訶般若波羅蜜多心経』がもっともよく知られ、
読誦用としてもひろく用いられるようになりました。
現在、一般に『般若心経』といわれているのは、この経典です。

修証義

『修証義』(しゅしょうぎ)は、おもに道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、
その文言を抜き出して編集された、全五章三八節の内容です。
明冶の中ごろ、各宗派では時代に適応した
宗旨の宣揚をしようとする気運が高まっていました。
曹洞宗では曹洞扶宗会が結成され、多くの僧侶や信者の人々が参加しました。
その主要メンバーであった大内青巒居士(1845~1918)を中心とし、
『洞上在家修証義』が刊行されました。
これは在家教化のためのすぐれた内容となっていたのですが、
曹洞宗門では、当時の大本山永平寺貫首・滝谷琢宗禅師と
大本山總持寺貫首・畔上楳仙禅師に内容の検討を依頼し、
1890(明治23)年12月1日に
『曹洞教会修証義(現在は『修証義』と呼称)』と名を改め公布したのです。
曹洞宗の「宗旨」は、釈尊から歴代にわたって
正しくうけつがれてきた以心伝心の正伝の仏法、
只管打坐、即心是仏の心を自らのものとして実践していく教えです。
『修証義』は、この心を日常生活のなかでどのように獲得し、
実践出来るかを具体的に示すことで、「教義」の大綱となっています。
(第一章・総序)
人として生まれ、また仏法を聞くことがどれほど奇特なことかを説き、
無常なる人生を自覚して一刻も早く正法に遇うことを勧めている。
(第二章・懺悔滅罪)
受戒して仏法に入る前段階として至心に懺悔することを説いている。
(第三章・受戒入位)
曹洞宗の祖師が釈尊以来伝えてきた
三帰三聚浄戒十重禁戒の十六條戒を受けることを説いている。
(第四章・発願利生)
受戒したならば自未得度先度他の心を発し、
衆生のために生きること(=利他行)を説き、
具体的実践徳目として「四摂法」を勧めている。
(第五章・行持報恩)
即心是仏の道理を説き、
上記のような利他行に生きる菩薩の報恩の生き方を実践することが、
釈迦牟尼仏に他ならないことを説いている。

舎利礼文

仏舎利を礼拝する時に唱える偈文です。
この成立に関しては諸説ありますが、日本仏教諸宗派で多く用いられました。
曹洞宗でも檀信徒法要などで広く用いています。

五観の偈

道元禅師が中国から伝えた正式な食事作法の中にある偈文です。
食器を広げ、ご飯などをよそってから、各々合掌し五観の偈を唱えます。
【一計功多少量彼来処】
(一には功の多少を計り、彼の来処を量る)。
この食事がここに来るまで、
どれほど多くの人の手数や苦労があったかに、思いをめぐらします。
【二忖己徳行全欠応供】
(二には己が徳行の、全欠を忖って供に応ず)。
自分の行いはこの食事をいただくのに値するものであったかを深く反省します。
【三防心離過貪等為宗】
(三には心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす)。
心の過ちを止め、貪りの欲を見極めます。
【四正事良薬為療形枯】
(四には正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり)。
食事は、自分の命や健康を支える良い薬なのだと自覚します。
【五為成道故今受此食】
(五つには成道の為の故に、今此の食を受く)。
食事をいただくのは、まさに仏の道を明らかにするためだと自覚します。

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